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近代における暴力の社会的承認

世界観という概念が現実的世界においても、思想的世界においてもその現実性を喪失して久しい。しかし、諸世界観のうちで最強のものは、身分制社会晩期から初期近代にかけて形成された近代的な自由社会という世界観であろう。この世界観は多くの近代国家、イギリス、フランス、アメリカ合衆国、ドイツ、そして本邦においても暴力によって実現化されたもの、あるいはされようとしたものである。

この世界観はその実現のために自己の生命を犠牲に供することも辞さず、かつそのときの公共性と公的規範を破壊することも問題ない。後期近代における用語を用いれば、この世界観を実現するためには、自らをテロリストとみなす。後期近代において、どのような世界観を掲げようとも、烈士、あるいは志士と呼ばれることはない。このような暴力革命への正統性の賦与は、初期近代の終了、つまり後期近代の始まりまで継続する。すなわち、本邦に限定しても、明治維新直後の西南の役から始まり、192030年代における青年将校の反乱は著名である。これらの軍事的手段を用いた世界観の現実化への志向は、最終的に近代国家によって鎮圧される。しかし、社会的には彼らの世界観を現実化しようとする試みは、社会的に承認されていた。この社会的承認は196070年代まで継続する。象徴的に言えば、1968年まで継続する。

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