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政治家とキャバクラ労働者ーー千葉7区補選

http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/senkyo/news/20060424ddm041010034000c.html

2006423日における千葉7区の衆議院補欠選挙において、太田和美氏(民主党)が斉藤健氏(自民党)を破り、当選した。この選挙の争点は民主党と自民党の政策の差異にもあったであろうし、武部自民党幹事長の選挙戦術の稚拙性(彼が選択したキャッチフレーズ「最初はグウ、斉藤健」は、「最初はグウ、埼玉県」によって切り返された)にもあったであろう。また、小泉政治の改革路線に対する批判が強まったことも、彼女の勝利に貢献したであろう。

 しかし、近代の原理からすれば、彼女がキャバクラ嬢であり、そのことを自民党が選挙戦術として攻撃材料にしたことがこの選挙の最大の争点であった。私的感情、あるいは自然的感情に基づき、その職業の卑しさを問題にした。近代の理念的世界における原則、職業に貴賎なしという原則を自ら自由を最大の政治綱領にする政党が破壊した。自由民主党の政策によれば、キャバクラ嬢等の風俗産業労働者は卑しい職業であり、斉藤健氏のような官僚は貴い職業になるからである。

 もし、彼女が風俗産業労働者ではなく、近代日本において問題になった特定の職業経験を持ち、そのことが否定的観点から述べられるのであれば、この問題はより鮮明になったであろう。政治的公共性の圏においては、このことは触れてはならない問題であった。にもかかわらず、自由を日ごろ強調している政党が、社会的な職業ヒエラルヒーに基づき、その職業を卑賤なものと公的に承認した。現実的な私的関係において職業に貴賎があることを、ここで非難しているのではない。現実的関係において如何に卑賤なものとして非難の対象になる職業であれ、公的世界においてその卑賤性が問題にはならないということが近代の大原則である。もし、この原則を否定するならば、前近代社会、日本史的に言えば、徳川時代と、近代日本との間には、何ら差異はないことになる。

 もちろん、結果的には、太田候補が勝利し、この問題は表面化しなかった。むしろ、彼女がこの経歴ゆえに敗北したのであれば、この問題は日本政治史の汚点として記憶されたであろう。

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