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高齢者教育学へのはしがき

 以下の所説は、高齢者教育学の展望を述べた部分である。それは、すでに論文として公表されている。

高齢者に対する再教育に関するこの戦略は、高齢者を労働者として市民社会に再参入させるのではなく、労働とは異なる媒介によって市民社会に参入させるようとする。他の戦略が高齢者に対して情報技術的社会に適応する知識を与えようとすることと対照的に、第二の戦略は各人の個性に応じた新しい人格を創造することによって、市民社会に能動的市民として参加させようとする。この戦略は、機能的知識の習得を目的にしている(他のすべての世代にあてはまる)職業教育とは異なる観点から高齢者に独自の教育を施そうとする。それは、高齢者がその人格に適応した本来的自己を確立することを目的にしている。また、それは、「人格性とその環境世界への関係の内にすでに存立している構造の修正ではない。それは意識拡大の意味において、人間的同一性の普遍的意識への脱限界化、死に至るまでの成長可能性としての同一性生成」を追求することである。

生計労働から解放された高齢者が、どのような媒介形式によって市民社会的関係を結ぶのかが問題になる。それは、若い高齢者がどのようにして「収入、家族そして社会的役割によって構造化されていない高齢者段階への移行期において、何かある新しいものが生成するはずの自己同一性を担う活動と関係を展開する」のかである。[2] それ以前の生計労働過程において習熟したものとは異なる能力が、この学習過程において獲得されねばならない。高齢者は数十年にわたる労働生活の体験によって、自己を合理知に順応させ、本来的自己を喪失している。労働世界は、その基礎に商品生産のための大量生産装置を持っている。この大規模装置は、それを操作する工場労働者を産出し、彼らはこの巨大装置を操作する客体へと自己を変容させる。労働はこの巨大装置に従属しており、この装置が環境世界の意味形象になる。この労働世界は、市民、つまり労働者に様々な役割意識を強制していた。大規模機械装置に従属する市民の役割意識が強化されたことによって、本来的自己と自己規制に従う活動は、労働世界において疎外されている。この疎外された自己意識は、長期間の労働生活において市民つまり労働者の肉体に浸透して第二の自然になっている。[3] 若い高齢者に対する再教育は、この第二の自然を解体し、自己に再領有させようとする。高齢者は、労働世界において経験してきた分業に対する役割意識を反省し、自己同一性を反省する能力を獲得しなければならない。これまでの疎外されてきた人間的実存が社会的役割意識の深層構造から救い出され、これまでの自己と環境世界の存立構造が解明され、有機的な社会構成体のうちに再び埋め込まれねばならない。


[1] Ebenda, S.  54.

[2] E. Gösken u. M. Pfaff u. L. Veelken: Curriculumentwicklung, a. a. O, S. 183.

[3] Vgl. W. Klehm u. P. Ziebach: Konzepte zugehender Bildungsarbeit: Das Modell „ Zwischen Arbeit und Ruhestand“.  In: Hrsg. v. S. Kühnert: Qualifizierung und Professionalisierung in der Altenarbeit. Hannover 1995, S. 212.

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