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改革と一芸入試、学生の芸人化

 この20-30年間において、改革という名の「改革ごっこ」が跋扈した。それは、この数年間の小泉改革だけではない。たとえば、教育の場、とりわけ入試の場において顕著であった。帰国子女枠、一芸入試、面接入試等が行われた。それは、筆記学力試験の結果一本槍の弊害を除去するという名目のもとでの改革であった。しかし、このような筆記学力試験の結果だけではない入試方法にも、それ特有の弊害があることが忘れされれていた。帰国子女枠入試によって、日本語、日本史、世界史、数学等に関する基礎知識のない学生が大幅に入学してきた。英語ができるという芸以外の才能を持たない学生が跋扈している。この意味で、帰国子女特別入試も、一芸入試の一範疇に過ぎないであろう。また、面接入試もまた、一芸入試の典型であろう。面接という技術に優れた学生が採用されるからである。そこでは、人格、人間性を試験するという建前であったが、数十分の面接で何が聞けるのであろうか。前もって準備した模範解答を暗記してきて、それを滔滔と述べるだけである。いつから学校は、一芸に秀でた少年を入学させようとするのか。学生の能力は、一芸には還元できない。芸人ではないからである。それは、人間の能力を単純な能力(英語能力、水泳能力等)に還元できるという思想である。そのような単純能力思考こそが、筆記学力試験批判の根拠であたったにもかかわらず、それ以下の単純化が進行した。改革の成果であろう。小さな弊害を除去しようとして、大きな弊害を導入した。

 このような広義の一芸入試(帰国子女優先入試、泳ぎのうまい人優先入試、面接技術に優れている人優先入試)が、なぜ筆記学力試験一辺倒の入試よりも優れているのであろうか。学力低下が議論されているが、学力を問題にしない入試方法が採用されているかぎり、この弊害はいつまでも続くであろう。20-30年前に時計の針を回すことは、不可能であろう。しかし、改革がつねに負の側面を持ち、何からの別の意図によって操作されている現実は、近年の一芸入試の弊害から明らかになろう。

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