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「我々式民主主義」(合衆国)と思想史の問題

 今回の「我々式民主主義」と「我々式社会主義」の問題を考察することによって、改めて思想史の一般的問題が浮上してきた。それは、ある思想が問題になるためには、それが現実的な政治的、社会的権力と結びついてなければならないことである。我々式民主主義あるいは新自由主義が問題になるのは、それが現実的な支配的権力、すなわち合衆国や日本における政治権力によって採用されているからである。

 必ずしも、それが思想的に優れているとか問題性を孕んでいるとかは、ここでは問題にならない。著名な例として、マルクスとエンゲルスの思想が世界的に着目されたのは、この両者の思想が旧ソ連、東欧における国家的宗教の聖典になったからである。社会主義思想に限定しても、彼らだけが社会主義思想家であったわけではない。それ以外の無数の社会主義、共産主義思想家が存在していた。その偶然性に依拠することによって、ある特定の思想が世界的に認知されてゆく。

 おそらく、本邦において、19世紀ドイツにおけるカール・ナウヴェルクという思想家は、このような偶然性に支えられることはなかったし、今後もないであろう。にもかかわらず、その死後、百年以上経過した、極東において研究しようとしている研究者がいる。この研究者は、なぜ彼の思想に拘るのであろうか。考えなければならない問題であろう。

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