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喫煙の自由と個性の尊重

 現在、様々な公共的場所から喫煙者を追放しようとしている。まさに、公共的空間から喫煙いう概念を追放し、禁煙という概念一色に染めようとしている。しかし、過日のブログでも書いたように、喫煙が地球環境を破壊することはないし、煙草を吸って殺人事件を起こしたという話は聞いたことがない。酒を飲み、興奮して殺人事件を起こすことはままあるし、飲酒運転と前方不注意により、自動車事故を起こすことは、ニュースにもならないほど、頻発している。

 喫煙がそれほど、悪いことのようにも思えない(良いことであると主張しているのではない)。ただ、近くに人がいた場合、その人が不快に思うならば、喫煙を停止すればよいだけである。

 一般的に言えば、不快に思ってもどうしようもない場合は、多々ある。横断歩道を歩くときには、自動車の排気ガスを吸引しなければならないことは、多くの人が経験している。にもかかわらず、すべての公共の道路から自動車を追放すべきである、という主張をしてもほとんど賛意を得られないであろう。にもかかわらず、煙草の煙だけが批判の対象になり、排気ガスは問題にすらない。直接数分だけでも排気ガスを吸引すれば、死に至ることはあるが、煙草を数本吸引しても死に至ることはない。

 このような煙草に対する極端な不寛容と、排気ガスに対する極端な寛容は、なぜ両立するのであろうか。明日以降も考えてみたい。その解答への導きの糸の一つが、個性の尊重である。

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