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地方破壊と鉄道の廃止

 東京やベルリン等の大都市に居住していると、鉄道が廃止されるということに対する不安はない。常に、海外から、そして国内の他の地域から人口流入があり、また観光客、商業目的の一時滞在者が多数一時的ではあれ、滞留しているからである。このような大都市にとって、鉄道は不可欠である。観光客、ビジネスマンは鉄道を利用するであろうし、また地価が他の地域と比較して相対的に高くなるので、大都市郊外に居住する労働者も増えるからである。

 しかし、大都市という範疇から外れた都市、あるいは「市」に昇格できなかった「町村」を中心とする地域において、鉄道はほとんど省みられない。高速道路、高規格道路が縦横に走っているかぎり、鉄道需要は、高校生と高齢者に限定されがちであり、廃線という不安に常に悩まされている。ここ近年に限定しても、ふるさと銀河鉄道(北見・池田間)という北海道東部の鉄道が廃止されることが決定されている。

 しかし、鉄道を廃止して、高速道路等による移動に限定してしまうことは、非常に危険である。ガソリンがリッター・300円を超えれば、現在の物価と収入が固定された場合、現在のように自由に自家用車を使用可能であろうか。また、二酸化炭素の排出量を減少させる場合、自家用車の使用制限も課題になるであろう。京都議定書を批准した日本政府であるが、その遵守を真剣に考えた場合、ガソリン使用制限も視野に入るであろう。

 しかし、自家用車の使用が何らかの理由によって制限された場合、その代替移動手段が問題になる。しかし、電車網を寸断した場合、その再敷設には膨大な資源と時間がかかるはずである。その可能性を考慮にいれない地方自治体、政府はその代替手段をどのようにするのであろうか。その代替手段ーー自家用車の使用制限、環境保護の拡大ーーには、禁煙を推奨しても無意味なことは小学生でもわかるはずである。煙草の煙がオゾン層を破壊することはないし、煙草を吸わなくなり健康になった人間が毎日10キロ以上徒歩通勤するのであろうか。このような馬鹿げた想定が無意味であることは明らかである。

 しかし、政府、自治体は禁煙地域を拡大することには熱心であるが、鉄道を地方都市に敷設することには、不熱心である。なぜであろうか。その思考に根源的欠陥があるのであろうか。ないのであろうか。

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