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理念としての単一民族国家

 国民国家が形成途上にあるときに、自由、平等、連帯という理念が実現されるかのような幻想を撒き散らしたことは否定しようがない。現実態において、このような理念が完全に実現されることは、不可能であるにもかかわらず、それは制度化された。この問題は、理念的圏と現実態との二元論として周知の事柄である。近代を構成するこの二元論は、多くの思想家によって糾弾の対象になったが、その二元論を克服すると称した思想はこの二元論をより深刻にしただけであった。

 同じ事柄が、初期近代において形成された民族国家という擬制にもあてはまる。この擬制がなければ、近代国家は成立しなかっただろうし、地域国家(日本史の事例を用いれば、藩意識)という制限も打破できなかったであろう。もちろん、この擬制が擬制であるかぎり、その内部に国民国家=民族国家とは相容れない要素があったことも事実である。少数民族をその深部に抱えていたからである。ドイツ帝国には、ユダヤ人、スラブ民族が居住していたし、日本にも朝鮮民族、アイヌ民族、オセチア民族が居住していた。しかし、この少数の民族の存在ゆえに、単一民族国家という擬制が誤りであるという主張は、根拠がない。この擬制は自由という理念の場合と同様に、二元論として処理されるべきである。

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