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サークルと大衆

 近代日本において、前近代的な身分制に代わる中間団体として、会社共同体が少なくとも1970年代まで機能していた。後期近代日本においてこのようなことを主張すれば、アナクロニズムとして嘲笑されるであろう。しかし、なんらかの中間団体は必要である。欧州では、サークルがその機能の一部を担っていた。

 そのサークルはアソツィアティオンと呼ばれていた。中世社会の解体により、個人は中間的身分を喪失し、直接国家と対峙することになった。もちろん、国家の側からもその再組織化が試みられたが、塊、大衆としての国民もその再組織化を試みた。それが、アソツィアティオンである。この組織は、自由で自立的な国民を前提にしている。この国民が自らの自由意志に基づいてこの組織に参加することによって、その塊としての自己を揚棄しようとする。

 この組織は、最近の研究によれば、単なる労働問題を解決するための組織ではなかった。それは、読書サークルであり、歌声サークルであり、談話サークルであった。たとえば、読書サークルを例に取れば、当時は本の出版数も少なく、個人が気軽に本を購読するという習慣はなかった。書物は高価であり、読書は必ずしも個人的行為ではなかった。新聞すら個人的に読むものではなかた。書物、新聞、雑誌等の活字印刷物は集団的に音読されるものであった。

 また、音楽もまた、個人で楽しむ娯楽ではなかった。況や、カラオケという密室で歌われるものでもなかった。それは、音楽サークルとして、集団的に行使される娯楽であった。集合に何かを形成する場所があった。その場所として、地域単位にある種の集団が形成されていた。

 このアソツィアティオンの潮流は、後期近代における欧州においても部分化、専門化された形で厳然として残存している。体育(サッカー)、あるいは地域におけるパブ等として地域住民が常に集合する機能として残存している。また、労働組合も現在では労働条件の改善のための機能集団として専門化されている。しかし、19世紀、あるいは初期近代においては、後期近代において専門家された機能が渾然一体となっていた。その時代の理論家が、この集団性に着目して、新たな身分に代わる中間団体として理論化しようとした。

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