« ニートと社会国家 | トップページ | 急告 »

ニート予備軍としての学生

ニートは、労働から解放されているという観点からすれば、国家的に生存権を保障される非自発的失業者と同一水準にある。また、形式上、ニートではないが、実質的には、それと同じような社会層が形成される。それは、学生層という社会階層である。もちろん、彼らの多くは勉学に勤しんでいるはずであるが、その一部はニートとほとんど変わらない生活を送ることになる。とりわけ、後期近代において就学期間が延長される。たとえば、初期近代日本において、尋常小学校を卒業して労働に従事することは平均的な人生設計であった。旧制中学を卒業することは、少なくともエリートの入り口に立っていた。大正になっても、同世代のうち5%しか、大学を卒業することはなかった。この80年間で、平均的な労働を開始する時期は、10年以上も延長された。

 さらに、大学進学率だけではなく、大学院進学率もこの20年間で飛躍的に上昇した。30年前には、ほとんど聞いたことのない大学も、大学院を新設している。大学教員の数の上昇は上回っている。彼らは大学院で学ぶことになるが、大学教員への道はほとんど閉ざされている。大学教員のリクルート先は、大学院から産業界、官界へと移動したからである。大学院修了者が大学教員になるという初期近代の前提が崩壊している。ニート予備軍が文部科学行政によって産出される。

 もちろん、国家行政はニートを拡大するために大学、大学院を拡充したのではない。後期近代において、社会が複雑になり、知識、技術を習得するための時間が必要になったからである。初期近代において、読み書き、算盤ができれば、それだけで働く場所はあったが、今日ではおそらく無理であろう。

 このような就学期間の延長がニート予備軍を産出している。20代で労働に従事しない人々が増大したことにより、20代でニートをすることも半ば社会的に承認されてしまった。

|

« ニートと社会国家 | トップページ | 急告 »

経済・政治・国際」カテゴリの記事