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ニートと一攫千金の野望

  さらに、ニートの問題は労働の質的変化と対応している。初期近代において、専門労働と素人の趣味との間には、画然とした境界が存在していた。たとえば、小説家になるためには、同人誌に投稿し、同人になり、そこで文壇のボスに認められねばならなかった。素人の手慰みと専門家の作品との間には、越えられぬ境があったと、みなされていた。しかし、後期近代においてこの境界は、ほぼ取り払われた。素人の作品が突如として社会的に認められることが可能になった。しかし、その確率は、その市場に参加予備軍が飛躍的に増大していることを考慮するならば、さしたる変化はないにもかかわらず、その数の増大が喧伝された。 そこで、ニート予備軍は考えている。私も小説家になり、巨万の富を得ることが可能であると。確かに小説家だけではなく、コンピューターの世界においてもその可能はある。著名なIT長者もまた、今日風に言えば、ニートに近い存在であった。彼は、学校にも行かず、ひたすら新たな情報技術を獲得するために、就職せず、また正規の学生でもなかった。この先覚者を模倣して、今日の多くのニートが、コンピューターの様々な領域において自己の才能を信じて、新たな挑戦をしているようである。しかし、今世紀において、もはや情報産業は個人の才覚で一攫千金が可能になる分野ではない。組織された労働者が従事する産業である。そこでは、個人の才能に依拠することはない。21世紀のニートがみている夢は、夢のまた夢で終わりそうである。

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