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国民共同体ーー共同体の破壊

国民国家という近代国家に対する性格づけ

 近代国家に関する性格づけは、無限に可能である。たとえば、資本主義国家、社会国家、社会主義への移行期、行政国家、民主主義国家等がさしあたり考察可能であり、このどれもが一定程度、近代国家の本質を明らかにしており、かつどれもがそれだけでは近代国家の全体像を包摂しているわけではない。

 連帯という思想が制度化された社会国家は、国民国家が基礎にある。連帯の対象は、身分、地域に分節化された集団、あるいは共同体ではなく、国民である。この国民は諸国民ではなく、自己の属する単一の国民である。社会国家成立以前においても、連帯の思想が皆無であったのではない。前近代社会においても共同体内部においては、連帯の思想が現実化されていた。血縁共同体、地域共同体、宗教共同体が機能していたからである。本邦においても、人生のイニシエーション(節目毎の儀式)は、村落の宗教施設(神社、寺)において挙行された。また、欧州においては、もちろん村落の教会がそれに相当している。しかし、この共同体的機能はこの共同体の内部に対してしか発揮されない。外部に対しては、その機能は発揮されないばかりではなく、逆の事が生じる。この三つの共同体は、近代的思考と異なり、通常は重複している。その共同体機能は、近代人が想定している以上に濃厚であり、外部に対しては敵対的に機能する。キリスト教的共同体が他の宗教共同体、たとえばイスラム教的共同体、ユダヤ教的共同体に対しては、その構成員抹殺にいたることもあった。

 

 近代国家は、この共同体機能を破壊することによって構築されている。この共同体的機能を国家内機能化することによって、その機能を国民全体に拡大しようとする。

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